縁切榎




朝8時10分の南越谷駅ホーム。
寒い。





武蔵浦和埼京線に乗り換え。
下車したのは板橋駅
今日は山あるき会の街中散歩である。


30分も早く着いたのにすでに4人のメンバーが待っていた。
年をとると待ち合わせ時間に早く来てしまうのだ。



西口駅前にりんりんちゃんの石像。
板橋区の花はニリンソウ
そこで名前はりんりんちゃん。







11人全員が揃ったので東口に移動。
駅前は謹賀新年のちょうちん。
板橋駅板橋区、北区、豊島区の三区にまたがっている。
こちらは北区。




観光ガイドさんがやって来た。
今回の街中歩きを企画したE藤さんが手配してくれた。
グリーンのベストに「ボランティア もてなしたい」のロゴ。
滝川クリステルさんの前に「もてなし」を使っているのだ。




観光はすぐそばにある近藤勇の墓から始まった。


今年の10月6日にJUの会で流山の新撰組本陣に行った。
近藤勇はここで政府軍に捕らわれて板橋まで連れていかれ処刑。




ここで集合写真。
そばで若い女性が一人で近藤勇の写真を撮っていた。
今でも人気があるのだ。



東光寺。
戦国武将宇喜多秀家の供養塔がある。





このお地蔵さまが面白い。
立て膝をして笑みを浮かべている。
逆光で良く見えないかもしれない。






観明寺の山門。
赤い門である。
加賀藩の前田家からもってきたそうだ。




ガイドさんの話を聴きながら気になったのはゴム長を履いて落ち葉を掃いている少女。








こんなお風呂屋さんがあった。
千と千尋の神隠し.のようだ。
この風呂屋今も現役である。
名前は花の湯。



観光センターで小休止。
そしてお茶をいただく。



文殊院
ボランティアになってまだ1年目のガイドさんが交代して説明してくれた。







文殊院に遊女の墓がある。



板橋宿の本陣跡や中宿脇本陣などがあったが看板だけ。
今は違う建物が建っている。




これは板橋である。
つまり板でつくられた橋。
板橋の地名はここから。
今は板の模様をしたコンクリート












下を流れるのは石神井川
春には桜が素晴らしい、そうだ。






縁切榎。
悪縁を切る。
板橋宿では昔から有名だったらしい。


皇女和宮が徳川家に興し入れをしたときこの前を通るのが一番の難所だった。
そこでわざわざこの前を通らない道をつくって板橋宿に入ったと言う。
ガイドさんによれば、皇女和宮の行列は3万人に及び、先頭が宿場に到着しても終わりは前の宿場を出ていなかったそうだ。



縁切榎に沢山の絵馬がぶら下がっていた。




その中に書かれている文章を読む。
「1日もはやく姑と別れて暮らせるように」
「職場で嫌な縁が切れて楽しい職場になりますように」
切実な願いがここにある。







観光ガイドは縁切榎で終了。
時間は12時半を過ぎている。
ありがとうございました。



みんなですぐ近くにある蕎麦屋に入る。
幸い席が空いていた。



私が注文したのは焼き鳥丼セットにビール。
実は最初に決めたのはK井リーダー。
右ならえ組みが5人。


食べ終わると解散。
酒飲みグループが5人残る。




帰りに目星をつけていた新月堂に寄る。
買おうと思っていたのは豆大福。
しかし売れきれだった。
残念。
もしかしたら先に帰った連中が買い占めたのかも..。



途中でトイレを行きたくなった。
Kリーダーにお別れしてトイレ探し。
結局はコンビニですました。



再び中宿商店街を行く。
カメラチームがいた。
埼玉テレビ?



ユニクロがあったので寄った。
試着室で着た。
似合わない。
買うのをやめた。




駅の近くで見たことがある看板。
「山源」。
ここで10月の終わりに熊さんとホルモン焼きを食べた。
今日はまだ開店前の静けさ。







夕方の散歩。
ママと一緒。
















陸橋の上にのぼる。
夕焼け。
富士山見えない。


今日もいい1日でした。