高崎で結婚式
夫婦で結婚式に招待された。
大宮から2階建新幹線で高崎まで行く。
運賃と特急券が同じくらい。
新幹線利用は、まさに時間を金で買うようなものだ。
高崎から両毛線で3ツ目の新前橋まで。
小さな駅である。
そこに平成の三四郎がいた!(写真)
そう柔道で金メダルをとった古賀稔彦である。
携帯電話を片手に階段を下りていった。
がっちりしているが背は高くない、と言うより低い。
なるほどだから背負い投げが得意なんだ!
式まで時間があるので、駅の下にある蕎麦屋でタヌキ蕎麦を食べる。
60近い金髪のおばちゃんが客担当だった。
駅前からタクシーに乗る。
愛想のない年老いた運転手。
教会の名前を告げたがピンと来ないようだ。
招待状の地図を見せたらやっと分かった。
おいおい大丈夫か?
だが、埼玉から来たと言うと、我が町をよく知っていた。
昔、池袋で不動産屋をやていたと言う。
我々夫婦は教会での式から参加。
神父さんは外人。
英語と日本語を交えたお話。
バックのステンドグラスが綺麗だ。
ただご両家の1歳から2歳くらいの赤ちゃん(3人いる)の声が気になる。
赤ちゃんの甲高い声で、神父の有り難いお話が聞こえない。
式が終わるといい具合に小雨も上がっていた。
階段の両側に並んでフラワーシャワー。
階段下に仕掛けられたシャボン玉製造器から泡が吹き出す。
披露宴は3時から6時まで。
我々夫婦は新郎新婦の正面テーブルに座る。
私の隣りには新婦の高校時代の恩師の席。
幸い私に挨拶のご指名はなかった。
新婦の主賓の方、予定してなかったと見え、
しどろもどろで1分もしないで終わった。
こんな挨拶は初めて見た。
行き違いか?
新婦の友人という女性が思い出を披露しながら、
ピアノを弾き語り。
見たことがある。
彼女の渾名を聞いて思い出した。
昔、新婦と3人で西日暮里の「牛角」で
焼き肉を食べたことがあった。
トイレに行くと新郎とばったり。
ここで元上司としてお祝いを述べる。
最後に仕掛けられた新婦から両親への感謝の言葉。
これには泣けた。
涙がポロポロ。
照明を暗くしていたので顎を伝う涙をそのままにしていた。
全体にとてもいい披露宴だった。
これが終わると若い者が中心の2次会がある。
我々はそんなエネルギーはないので失礼する。
タクシーで新前橋まで行き快速上野行きに乗る。
帰りは新幹線は使わず。
南浦和で武蔵野線に乗る。
するとママが私をつつく。
同じ車両にあのしどろもどろ主賓がいたのだ。
そして同じ駅で下りた。
これには驚き。
9時近くに我が家に戻る。
ムックは相変わらず餌を食べないで待っていた。
そして一通りの喜び行動が終わると、お茶碗のドッグフードを
食べ始めた。うーん可愛い!